❖自然免疫栽培法とは、私、濵田政徳が提唱する、人間が食べる野菜類、根菜類の栽培に関して、
科学的な農薬や化学肥料を使用せずに、自然のちから、自然の治癒力、自然環境に応じて生きる、
地球上の植物の力を信じて、環境変化に強い野菜類を栽培することによって、
それらを食する人間もまた、環境変化、
ウイルスや病原菌に対する免疫力を強化する事ができるだろう、と言う発想に基づいています。
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私は、先祖代々地域の地主として多くの小作家族の面倒を見てきた家の五男坊として生まれました、
はからずも、大東亜戦争の敗戦により、地主制度の廃止、小作制度の廃止の多大な影響を受けるも、
父親は国鉄の駅長で愛人と官舎暮らし、母親は8人の兄弟の食糧や生活全般の世話をする・・・
長女の昭和6年生まれを筆頭に、女2人、男6人の家族に祖母が加わり、総勢11人の大家族でした、
そんな私の記憶は、昭和24年(5歳)頃からの、自分の周りで起きた事、聞いたこと等によります。
幼い私を母は、スパイ代わりとでも考えていたのか、何度も官舎暮らしの父の元に派遣されました、
高千穂線の槙峰駅、日向大束駅では父の愛人の ”おばちゃん” と ”落穂ひろい” をしたり、
一升瓶に入れた籾を棒でつついて過ごした日もありました。
家に居るときは、もっぱら母親の後追いをしていたと兄たちは笑っていましたが、
畑にも、田んぼにも、山にもついて行って手伝いをしていた記憶があります、
其のころから、家のどこの山に ”せんぶり” が生えているとか、
甘茶弦があるとか、知っていましたし、
芋畑の ”ゲンノショウコ” やせんぶりを取って帰り、おばあちゃんに渡すと、
笑って受け取り、喜んでくれたものでした。
明治時代以前からある5000坪ほどの孟宗竹の山、
家から歩いて10分ほどの、100本以上のミカン畑が私の遊び場だったのです。
近辺の丘や山や畑や田んぼのほとんどが、
私の家か親戚の土地だったので、
私の少年時代は、海、山、畑、田んぼ、小川、と自由奔放に遊びまわれる、
天国を飛び回っていたようなものでした。
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❖当時の地域のお寺は親戚の叔父さんの所でしたし、
地域のところ所にある小さな神社は、私の家の領地、
集落の墓地も私の家の領地、私の先祖が何者であったのか?今でも謎のままですが・・・。
私が小学校に上がる頃には、父は肺結核の病床に就き、川南の国立療養所、佐土原の病院、
そして自宅療養と落ち着きましたが、
私は、父の注射するペニシリンを町の薬局に買いに行く役目とか、
父の枕もとで、仏教か何かのぱらぱらとめくる教本を読んで聞かせる役目もありました、
教本には仮名が振ってありましたが、6歳か7歳の頃では、意味も分からず、
読み詰まると、”そのまま読め”と命令された事を覚えています。
家族総出の看病の世話の買いも無く、昭和29年の6月に父は亡くなりました。
庭先の大きな琵琶の木が沢山の黄色い実をつけていたのが印象的でした。
そんな父の影響か、小学校3年生の終わりころには、
学校の図書室の本は全て既読本となっていました、新しい本を先生にせがんだ事もありました。
その本の中で、日本国中の野山を駆けずり回って、薬草を探し続ける人物の物語がありました、
日本地図を作った、伊能忠敬と比較されたような人物ですが、いまだに何という名前だったのか・・・
シートン動物記、15少年漂流記、などが私の愛読書だったと記憶しています、
現在の私の、自然免疫栽培法にまつわる物語は、まだまだ続きますが、
地球上の動物の歴史とか、植物の歴史とか、遺伝学とか言うものも大事ですが、
最近では、人間がどうすれば、健康で長生きできるのか?・・・考えることもしばしばです、
激動の時代を乗り越えて生き延びてきましたが、
・・・時は流れて、私の血族は次々とあの世へと旅立ちました・・・今では、
従妹のような(祖父の兄弟の娘)、妻のような女性と老々の助け合いを生活の日々
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テーマを絞って考えたときに、
私たちの飲み水や食べ物、それらに使用される化学薬品、食品添加物、
医者が処方する薬は、本当に健康で長生きする目的にかなっているのか?・・など、
考え情報を集めながら、
今の自分に出来ることは何なのか?
そういった趣旨で自分の毎日を組み立てながら生きているのですが・・・
現在借りている、私の50坪足らずの菜園では、
完全無農薬、化学肥料を一切使用しない方針で栽培法を研究してきました、
最近では驚くほどの成果を、大きくて立派な野菜を育てることに成功しつつあります、
作業小屋も改造を重ねて、太陽光パネル、充電設備、1000Wインバーターを完備、
電気工事業を営んでいた頃の工具類も持ち込んで、大工仕事、鉄工仕事、何でもござれ、
菜園に必要な道具や資材も年々充実してきて、
毎日を充実した楽しい日々を過ごしています。
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今後、機会があれば、YOUTUBE等でも詳細を公開したいと思います、
是非、ご注目ください。
今日は、これから、畑に出向いて、
万能育苗箱の制作を始める事にしています。
2024年5月21日
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