❖ 人または人間とは、本来動物の一つの種類に過ぎないと私は考える、
人間を一匹のオスの動物とメスの動物なのだと考えると、
人間社会で起こる出来事の理解ができる場合がたくさんある、
人間の一生を通じて、経験する事、見聞きする事、
それは、世界中の人間の数を知れば、それほど多くの事を知って居るとは言えないだろう。
ましてや、自分自身が人生で経験できることと言えば、
たかが知れていると言うのが本当の事なのだろうと思うのである。
自分の霊魂と肉体のバランスと闘いながら、人間社会の道徳観を見つめながら生きる、
その、たかが知れている人生経験の中で、
動物のオスとしての獣のような人間、
動物のメスとしての獣のような人間、
人間としての男性と女性としての、
そんな捉え方を区分けしている人は少ないのかも知れない、
それは、私のように70歳以上まで生き延びてきた人間の考え方かもしれないし、
若い人でも、そのような捉え方をするのか・・・私は知らない。
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❖ 私が人生上で、そのように人間を区分けしてみるようになったのは、
何時の頃からなのかはっきりとはしないのだが、
その原因は、一人一人の人間の生まれた時からの教育のせいなのか、
それとも、生まれながらに、その人が持って生まれたものなのか、
誰もが、人生の途中で自分とは違うそのような人間に巡り合ったり、
あるいは、何かのニュースなどで見聞きする事があるだろうと思うのである、
そして、自分自身にはそのような風に他人に見られる傾向は無いのだろうか!
見られたことは無かったのだろうか?
と考えても見るのである。
人らしい人、人間らしい人間として自分は生きてきたのであろうか?・・・
時には、やっぱり自分も動物なのだ・・・と感じることがあったではないか。
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❖ この世に神様がいるのか?・・・いないのか?
そんなことを、誰でもが一度は考える事もあるだろう、
時には、【神様はいると思う?いないと思う?】などと聞かれることもあるだろう、
私は、どちらかと問われれば、神様存在説の方を支持するだろう、
私の神様は、自分の先祖代々の霊が自分を見守っているのだろうと言う考えであり、
それを人々は、私と同じように、【神様】と呼んでいるのかも知れないし、
そうでは無いのかも知れない、そして神様は別にいるのかも知れない、
色々と考えてみても結論は出ないから、別の考え方を探ろう・・・・・。
自分の体を作っている血肉に詰まっている先祖代々のDNAが、
自分と言う人間を他と区別できる唯一のものだと学んだから、
先祖代々の霊は、それを簡単に区別できるだろうと考えるのである、
現代科学では昔に比べればDNAの解析は格段に進歩したそうであるが、
まだ全てが見えたわけでは無いらしい。
先祖代々によって蓄積されてきたDNAの結果が自分だとすれば、
それはおそらく、体つきとか見た目ばかりではなく、
物事の考え方とか、全身に秘められた能力だとか、自分が持っている霊魂だとか・・・
人間と言う動物としての全知全能の事に及ぶのだろうと思うのである。
先祖代々から受け継ぐDNAによって生きている人々、人間たち・・・
そう考えれば、人間らしい人間とか、獣のように生きる人間とかの、
説明ができるのではないのだろうかと思いつくのである、
・・・ああ! あいつのお爺さんはねえ・・・
・・・ああ! あの娘のお婆さんはねえ・・・
・・・ああ! あいつの家系はねえ・・・
・・・ああ!あの人の父親は・・母親は・・・
・・・人間は悪くないのにねえ、先祖の祟りかねえ・・・
これまでに、何かが起きると聞かされてきた言葉・・なのである、
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❖ 祖父母夫婦が・・・父母の夫婦が・・仲良くしている姿は美しい!
先祖の誰かが、老人になるまで添い遂げた人のいる家族は確かに違うようである、
今では大家族は少なくなったが、家族の顔、夫婦の顔、子供や孫の顔、
人間の顔が活き活きとしている、家族の顔が明るく輝いている事は重要である、
今では、世間一般が家族単位で物事を見ることが少なくなっていると思うのだが、
それでも、私たち年寄りのあいだでは、
ちょっとした動作を見るだけで、・・・【お里が知れる!】
そんな言葉を普通に使っているのである。
その一言から、
人らしい人、人間らしい人間、獣のような人間と言ったような、
感じを受け取っている事を窺い知る事が出来るのである。
それが、本人の教育程度とか、学歴とか努力とかにかかわらず感じ取られるとしたら、
どこで学んだのか知らないけれど、【あんたの背後霊が・・・】などと言う人もいる、
それはそれで、いつもそんなものが付きまとっているとしたら、恐ろしい事でもあるが、
人間が受け継いだ、先祖代々のDNAを、おろそかには出来ない、
人間を覆い包む何かを感じるし、何らかの神様と呼べるもの・・・霊魂とか、霊感・・・
その存在のような【証し】があるのだろうと思うのである。
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